入来院氏とは

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2008年03月15日

入来院氏とは

入来院氏とは
、桓武天皇の後胤であり、鎌倉幕府に仕えた名門渋谷五氏のうちの一つであったが、後世入来院の地頭に任じられたため入来院と称した。
とある。
鎌倉時代1247年に相模国の渋谷光重が三浦・千葉両氏討伐の戦功によって、千葉氏の旧領北薩の地頭職を獲得し、光重は六子中の二男以下を薩摩に下向させましたが、それは年齢順に実重を東郷に重保を祁答院に重諸を鶴田に定心を入来院に重貞を高城に各地頭として入部させました。
この渋谷一族は川薩地方全域を領有することになり長く威勢を振るったので、世にこれを渋谷5宗と呼びました。
また入来院氏は、三代公重時代に元寇の国難があり、弟有重以下入来の将兵80余人が戦死し、戦後第一級戦功賞12町歩余の土地を今の福岡市内に支給されました。建武中興から南北朝時代には幾度か綸旨を拝戴し、また守護島津氏とは戦国時代まで協力、あるいは敵対したりの硬軟巧みな外交手腕を発揮し、中央幕府からも重視されました。
入来院氏の最高潮時代は十一代重聰・一二代重朝父子時代(1490~1560)で阿久根から姶良町に至る広大領主大名として自任した時代でした。
しかし1569年末に島津氏の軍門にくだってからはその一武将となり、近世は入来郷(現薩摩川内市入来町)の私領主として、明治維新にいたりました。
維新時は天領長崎の摂収で功をたて、明治2年8月領地を返上し、中近世を通じて620余年、同一領主によって治められた特異な入来にも新時代の曙光が訪れました。
と資料にありました。
また前出の渋谷5宗の内、東郷家は、示現流の宗家でもあり初代東郷肥前守重位は典型的な文武両道の人であった。剣術ばかりでなく精神文化の面においても、薩摩藩士達与えた影響は計り知れない。もうひとつの自顕流とともに江戸期を通じて薩摩藩士の精神と剣術に磨きをかけてきたのである。そして明治維新という武家社会の終焉に際して、日本の侍の華を最後に咲かせたのが、薩摩の二つのジゲン流だったのである。
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