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パーキンソン病と闘う西新宿不動産会社社長のブログ。

GM不動産社長略歴

氏名:種田 裕幸(たねだ ひろゆき) 通称 たねちゃん
生年月日:昭和35年1月30日 (62歳)
出身地 北海道羽幌町
藤幼稚園
羽幌小学校
羽幌中学
札幌手稲高等学校
北海学園大学
以上、が学歴でいずれも卒業している。

代表取締役社長経歴書

氏名:種田 裕幸(たねだ ひろゆき) 通称 たねちゃん
生年月日:昭和35年1月30日 (62歳)
出身地 北海道羽幌町
初学歴はカトリック系の藤幼稚園入園、ミッション系だったため先生と呼ばれる修道院でよく見られる頭から全身を覆う黒や白一色のベールのようなものを身にまとっていた。チモテア先生とかクニグンデ先生と呼ばれていたシスターにキリストがゴルゴダの丘で張り付けになるシーンを聞いて、子供心にも何かしら感じたのか?両手を胸の前で組んで、神妙な面もちでお祈りしてる写真がある。また園長が白人で何かの罪の意識か?毎晩夢でうなされ時には奇声を夜中に上げてしまうのを心配するシスターたちがいた。
その後、羽幌小学校・羽幌中学を無事卒業して札幌道立手稲高等学校へ入学する事となるが、正直小学1.2年の記憶はあまりなく母親同士が仲良くなって、子供同士もなか良くしなさいと誕生日会に招待され、後々竹馬の友となる金子氏の出会いがあった。誕生日会ではラーメンが出されて皆おいしそうに食べていたが、その当時は、猫舌で全然手がつけられず金子の母親が心配そうにわたしの顔をのぞき込んでいた。この履歴書はほんのさわりに過ぎないが、今までであった方々に感謝を捧げると共に、こうして東京で元気にやっている。姿をお知らせしたいとの気持ちで書いています。・2度目の人生を経験する事になったのだから、
高校を卒業して獨協大学を中退し、翌年北海学園大学経済学部にはいる。先の金子氏の獨協大学入試過去問題のおかげで、獨協大学経済学部経営学科を3番で入る事が出来たが、初登校時に同クラスの小樽から来たという三浦氏から空手の見学に一緒に行ってくれないかと必要に頼まれ、行った所、練習見学の後、おきまりのつきあい麻雀からの入部するはめになり、当時、目的もなく流されてしまい半年後退部退学、今度こそは目的をもって生きようと決め、半年足らずしかなかったが、地元札幌の北海学園めざし何とか翌年合格し、晴れて入学出来たが、獨協大学で専攻していた英語と好きな日本史と国語3科目の受験だったこともあり、今思えばラッキーだったと思う。大学時代はバイトに明け暮れ、試験と言えば使い回しの授業内容のコピーに助けられた。そんな生活のためか、まともに卒業出来る訳もいなく、留年を余儀なくされ、折角の北海道警察の内定を取り消さざる終えなくなり、親の5万円の仕送りをたち、読売新聞の八軒専売所に卒業するまでの間住み込みでお世話になりました。ここでも色々と事件が起きましたが、若い頃の私にとっては一番精神的にきつかったように今考えると思います。その後卒業して(株)大京観光札幌支店 ライオンズマンションでお馴染みの 今の(株)大京に入社し、すぐに扶桑興業 扶桑ハイツ 今の扶桑レクセルに出向させられ、ここでは危機回生での営業部で新人で年間売り上げ一番を獲得しました。あまりに過酷な営業のため、入社一年半で体調不良で退社することになりましたが、幸いなことに完成前に手付け50万ずつボーナス時入れて購入した扶桑ハイツ四谷が当時、1200万円で購入したのが1600万円で売却でき、退職金代わりになり、半年は休養できました。大京の札幌支店に入社するときに、部屋を借りるときにお世話になった(株)アパマンプラザの社長の山崎氏からうちに来てみないか?とのお誘いに体調も大分回復していたので、お世話になりましたが、半年過ぎた頃、当時扶桑興業の総務で係長だった岩部さんから今、明和地所(株)にいるがこっちに来て働いてみないか?と言うお誘いが何度かあり、体調にいまいち自信がなかったが、設立1年目だが大京の筆頭専務だった原田氏と大京の横浜支店長だった高杉氏が起こした会社で上場を目指しているとに事で、今がチャンスと思い明和地所(株)当時は横浜の鶴屋町が本店だったが、お世話になることになりました。人生どんなに辛いときでもがんばり続けていれば、必ず見てくれている人がいる。と言うことを知って於いて欲しいと言うことです。まあ自分自身が知って居ればそれでいいと思うが、明和地所には5年間お世話になるが、ここでの5年間が自分の人生で一番頑張ってやっていた気がする。濃縮された5年間であった。バブルも経験し、はじけ始める所迄経験し、自身でもマンションを2件転がし、神奈川区神大寺に1軒家を購入するも、当時5,000万円で購入し4850万円のローンを9%の年利息であったが、ローンの組み替えをしたり、繰り延べ返済をしたり、良く持ったものだと思う。ここでもバブルの処理に追われ二度目の体調をくずし退社する事になり、自社株での恩恵はあまりなかったが、人生ここでの経験がその後の糧になってると思うところである。その後は、先輩の伝手で(株)レインズキャピタル 後輩の伝手で(株)モリモト と渡り歩き、最後は、(株)アパマンプラザ東京 を立ち上げると言う事で新宿野村ビル32階のサーブコープに一室構える事となる。私一人と事務員1人であったが(株)アパマンプラザの東京の責任者としてである。5年間勤めて40歳で独立し、平成12年に4月に(株)GM不動産を立ち上げ現在に至る。
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